【書評のようなもの】清水雅人他『新宗教の世界Ⅴ』(文が鮮明)

 「統一原理に興味をいだいた庭野日敬佼成会会長は、自分の弟子をして、統一原理を研究せしめることになる。そのために立正佼成会の東京青年部が動員され、『世界青年会』というのが発足した。そして何回となく、統一原理を学ぶ修練会が開かれ、会場には立正佼成会の道場が提供された。昭和38年(1963)のことである」…「この会の中心者は、当時、庭野会長の秘書を勤める久保木脩夫であった。この人こそ、誰あろう、現日本統一協会を背負って立つ会長・久保木修己、その人であったのだ」…「修己は立正佼成会の姓名判断でつけた名である」(p.139)。
 「佼成会教団内では、庭野会長亡き後の後継者は、久保木修己ではないかと噂されていた」…「ところが、このミイラ取りは、ミイラになってしまったのである。彼は統一原理を聞くに及んで、それに熱中してしまい、ついには立正佼成会を飛び出し、師・庭野日敬を捨てて、新しい神・文鮮明のもとに走ったのである」(p.140)。
 『原理講論』では「エバを誘惑して善悪を知る木の実を食べさせた『蛇』とは、実は『サタン』であった」…「その『サタン』とは、天使長・ルーシエルの堕落したなれの果てである」(p.143)。神はアダムとエバを愛し「それを見てルーシエルは、嫉妬に狂うようになる。嫉妬に狂ったルーシエルはエバを誘惑して不倫な性交をしてしまった」(p.144)。「統一協会の信者たちは、エバとサタンとのこの性行為は単なる神話ではなく、6千年前に行われた厳然たる歴史的事実であると主張する。そしてサタンは今なお生き続け、共産主義者を操っていると信じている」(pp.144-145)。
 「原理講論の説くところは、そのままで反共の教義になっている。共産主義をサタンとする教義をもつこの教団の実践活動が、狂信的反共運動となっていくことは、必然の成行きである。彼らは普通用いられている『反共』という語を使用しない。勝共』という」(p.152)…。そっ閉じ。

 

引用文献
荒井荒雄(1979)「世界基督教統一神霊協会 原理運動と勝共連合」清水雅人他『新宗教の世界Ⅴ』大蔵出版