【書評のようなもの】俵義文『戦後教科書運動史』

 ここでは主に高橋Q史朗関連を引用する。
 「政府・自民党は、元号法制化をめざして78年6月に『元号法制化促進国会議員連盟』が設立された。次いで、椛島有三(現日本会議事務総長)が事務局を務めていた宗教右翼の『日本を守る会』が中心になって右翼勢力を結集し、78年7月に『元号法制化実現国民会議』」(p.183)が結成され、元号という非効率なものを押し付ける迷惑な運動を展開した。こうした情勢が第二次教科書攻撃の背景にあった。
 第二次教科書攻撃を仕掛けたのは、自民党民社党などのウヨ政党、経済広報センターなどの経済団体、「日本を守る国民会議」やサンケイ新聞などのデムパ系ウヨ、そして「福田信之・森本真章ら筑波大学グループ、世界平和教授アカデミー(統一協会=国際勝共連合が組織する学者の組織)などの一部の学者」(p.184)である。つまり、文が鮮明に統一されていたのだ。
 1979年10月、デムパ系ウヨの「『じゅん刊 世界と日本』(253・4合併号)に『新・憂うべき教科書の問題』が掲載され、小学校の国語教科書が『偏向』していると攻撃し」(pp.183-184)てきた。第一次教科書攻撃は社会科教科書が攻撃対象であったが、第二次教科書攻撃では国語教科書も攻撃対象となった。
 当時のウヨは「ロシア民話『おおきなかぶ』を『かぶは資本家、力を合わせてかぶを抜くおじいさん・おばあさん・動物たちは労働者で、団結して資本家を倒す話だ』とこじつけ」(p.185)、強烈なデムパを飛ばしていた。いつの時代もウヨは頭がQなのである。
 1990年代の第三次教科書攻撃は、インターネッツ黎明期とも重なり、現在のアダルトマン将軍のような歴史修正デムパが拡散された。1997年1月、コヴァや高橋Q史朗、藤岡信勝らが「新しい歴史教科書をつくる会」を設立し、これと連携する教科書議連も結成された。1997年5月には「日本を守る国民会議」と「日本を守る会」が鮮明に統一されて「日本会議」が発足した。日本会議議連も設立され、「現在の右翼勢力の組織体制がこの1997年にできあがった」(p.278)。さらに1997年9月から伊勢雅臣がメールマガジン「国際派日本人養成講座」を配信し、名越史観を広めた。1998年にはコヴァの『戦争論』が出版されるが、これらは1995年の地下鉄サリン事件から数年の出来事であり、"高橋らの集団"はポスト・オウムのへんないきものなのである。


引用文献
俵義文(2020)『戦後教科書運動史』平凡社