【トンデモ】小川壺太郎『真正保守の反論』(頭がQ)

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 文が鮮明な痴漢評論家(無職)の小川壺太郎は次のような"真の保守"の労働観を述べている。「この残業時間も、この程度の過少申告も日本社会の常識に反する極端なものではあるまい。過労死、また、過労を苦にした自殺というから、最初、私は一体どれだけ長時間、どれだけ非常識な残業を拒否できない状況を強いられたのかと思ったが、1ヵ月当たりの残業超過が規定より35時間超というのは、日本社会での法に対する現場対応としては常識の範囲内という他はない」(pp.152-153)。現場対応としてはヨシ!
 「労働安全衛生法は、月当たりの残業時間が100時間を超えた場合に産業医面談を指示しているが、これは逆に言えば、このくらいの残業は日本社会の常識の範囲内だということを意味していよう」…「皆が残業時間を遵守すれば、会社が潰れ、皆が失業者になるだけである」(p.153)…。ワタミール、君と僕は同じ未来を見ている。ゴールまで、ワタミール、2人の力で、駆けて、駆け、駆け抜けようではありませんか。
 「少なくとも江戸時代以来、日本の労働文化は、『多く働き多く豊かになる』を社会的な合意として成熟してきた。様々な理不尽に社会全体で耐えて、その代わりに社会全体の豊かさを手に入れてきたのが江戸から連綿と続く日本近代の『資本主義の精神』なのだと言ってもいい」(p.156)。「1人の自殺者が出たからといって、それを基準に社会全体を『改良』しようなどという無法なことをすれば、日本の労働文化のあり方を是とし、いまでも猛烈に働くことを喜んで選択している無数の日本人の人生を否定することになり、その結果、我々が享受している生活をも否定することになる」(pp.156-157)。残業や過労死は日本の労働文化であり、守るべき伝統なのである。ワタミ神社で会おう(o´・ω・`o)ノシ
 小川壺太郎は変態的なデムパも飛ばしている。「私の性的嗜好も曝け出せば、おぞましく変態性に溢れ、倒錯的かつ異常な興奮に血走り、それどころか犯罪そのものでさえあるかもしれない」(p.177)。あっ…(察し)。「杉田氏は概して弱者の名のもとにおけるマスコミの異常な同調圧力それらと連動しながら強化されてきた様々な弱者利権、それがしばしば外国による日本侵食工作と繋がっている事の深刻な害毒と戦ってきた人だ」(pp.177-178)…。「LGBTという概念については私は詳細を知らないし、馬鹿らしくて詳細など知るつもりもないが、性の平等化を盾にとったポストマルクス主義の変種に違いあるまい」(p.179)…。どう見ても文が鮮明に統一されています。本当に"真の保守"です。
 「LGBTの生き難さは後ろめたさ以上のものだというなら、SMAGの人達もまた生きづらかろう。SMAGとは何か。サドとマゾと尻フェチ(Ass fetish)と痴漢(groper)を指す。私の造語だ。ふざけるなという奴がいたら許さない。LGBTも私のような伝統保守主義者から言わせれば充分ふざけた概念だからである」「満員電車に乗った時に女の匂いを嗅いだら手が自動的に動いてしまう、そういう痴漢症候群の男の困苦こそ極めて根深かろう。再犯を重ねるのはそれが制御不可能な脳由来の症状だという事を意味する。彼らの触る権利を社会は保障すべきでないのか。触られる女のショックを思えというか。それならLGBT様が論壇の大通りを歩いている風景は私には死ぬほどショックだ、精神的苦痛の巨額の賠償金を払ってから口を利いてくれと言っておく」(p.182)。頭がQである。これが小川Q太郎の実例です。
 「私のなかにAとBがいるとすれば、保守主義者として社会の木鐸たらんとする小川榮太郎Aと、文学者として他者への慮りなど棄てて人間の業と対峙する小川榮太郎Bであろう」(p.199)…。「私はゴキブリと言われようと、ゾウリムシと言われようと、サイコパスと言われようと、人間のクズと言われようと、全く傷つかないのである。人は『表現』などにいちいち傷ついてはいけない」(p.235)…。小川壺太郎はカルト。そっ閉じ。

 

引用文献
小川榮太郎(2019)『左巻き諸君へ! 真正保守の反論』飛鳥新社