鮮明な「自主憲法制定国民会議」の「参加団体は、仏所護念会、生長の家政治連盟、国際勝共連合、日本郷友連盟、日本栄養士会など」(朝日新聞社会部 p.11)…。統一された「日本を守る国民会議」の発起人の名簿には「福田信之」…「松下正寿」(同上 p.126)…。あっ…(察し)。
松下正寿氏は「私はいわゆる東京裁判において東条英機首相の弁護人を勤めた関係上」…「十分に調査し、当時の日本の指導者がいかに戦争回避のため努力したかを確認した」…「交渉による和平を拒絶し、屈伏か、さもなくば戦争せよ、との選択を迫ったのはアメリカであった。具体的にはフランクリン・ルーズヴェルト大統領であった」(松下 p.106)…。そっ閉じ。