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【トンデモ】日本会議のへんないきもの

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 「それが『明日への選択』か…」と寂しそうに呟き、携帯で電話するフリをして「俺だ、○○(日本会議本の著者の名前)はどうやら俺達とやる気らしい…」等とほざいて「あぁ、わかってる。あいつなりの考えだな。タ・カハシ・シローゥ(別れの合い言葉、意味はない)」…。

 

 伊藤哲夫氏は、厨二病雑誌『諸君』平成11年(1999年)7月号で、共産党のソフト路線は「実は社会の免疫機能というものを徐々に弱めていこうという戦略ではないかと思う」、「我々の社会の“免疫”は何かといったら、国を愛し、歴史を尊び、人々が大切にしてきた倫理観や法を守るという精神、家庭を大切にしたり、会社で勤勉に働こうなどと思う伝統的な価値観です。この“免疫”を弱め、免疫不全症候群ということになれば、風邪のような些細な菌が入っただけでも、身体はがたがたになってしまう」(伊藤他 p.73)と述べている。すぐ「伝統的な価値観」とか言っちゃうところは、ちょっと高橋史朗症候群の疑いあり。オヤガク様の祟り。
 愛国アイドルももちは、平成19年(2007年)、「常識的に考えても、学力低下やいじめは甚だしいし、最近では大人も含めて規範意識が低下している。そういった形で戦後教育が混乱の極みに達している」(百地他 p.10)と述べ、混乱の極みに達する。そして、「高橋史朗教授が中心になって『親学』というのを熱心にされていますが、親の再教育はまさに時代のニーズだと思います」(同上 p.32)とか言っちゃう。
 椛島有三氏は『祖国と青年』平成14年(2002年)3月号で、「教育の荒廃は年々その深刻さを増している。しかし、未だにその解決策が提示されないまま、今日に至っている」、「このことに自信を持って解答できる教育関係者はいないのではないか」(椛島 2002 p.17)と述べている。彼は、教育学者(?)の高橋史朗氏には期待していなかったようだ。『祖国と青年』平成15年(2003年)9月号では、椛島有三氏は少年犯罪について論じ「少年達にとって、戦後教育の中で唱えられてきた様々な抽象的テーマと少年達の抱く空想や幻想は実質上何の変わりもない。人権を信ずることとバモイドオキ神を信ずることとどこに違いがあるであろうか」(椛島 2003 p.22)とか言っちゃう。サムシング・グレートを信じる高橋史朗氏はバモイドオキ神を信じているようなものだ。椛島有三氏によると「青少年が形成した空想・幻想という心の闇に対する対策」は「愛国心教育によって青少年の心の闇に光を差し込む以外に解決の道はないと思う」(同上 p.23)とのこと。「愛国心」もまた抽象的に思えるが、気のせい。日本の愛国心は、早急に近代国家を建設する必要に迫られた明治時代に欧米の言葉に対応してつくられた言葉で、しかもそれと並んで「patriotism」という用語があって、これは「ism」(主義)であって「心」じゃない。戦前だと「忠君」というのがあって…えっと、割愛。…とはいえ椛島有三氏は、高橋史朗氏に比べてデムパが足りない。いわゆる「俗流若者論」とか怪しげな「日本人論」の類を前提にしてて色々おかしいけど、よくあるやつなので、あまり面白くないね。

 

[史朗] が入室しました
[有三] が入室しました
[史朗] 親学ビームっ!!(★_★)ノシ
[有三] 親学ビームっ!!(@益@ .:;)ノシ
[史朗] なによその変な顔文字は。ふざけてるの?
[有三] なんだと

 

 せっかくなので「日本人論」について。しばしば「日本人のメンタリティは『聖徳太子以来、和の精神を重んじてきた日本独自の文化伝統』がもたらしたものだと解説される」(山岸 p.47)ことがある。そうした考えによると、和の精神を重んじる民族、すなわち「和民」こそが真の日本人…したがってブラック企業愛社精神を発揮し、自己犠牲、滅私奉公、サービス残業や過労死は美徳…。しかしながら結局のところ「日本人らしさ」は、日本の社会で生きていくための戦略的行動であり、「その人が置かれている『環境』、つまり社会のあり方がもたらしたものにすぎない」(同上 p.50)。例えば、日本人の自己卑下傾向については「謙虚にしたほうが日本社会ではメリットがあるから」(同上 p.62)であり、日本人の性質というより、日本の社会にうまく適応するための戦略として生まれた態度であるといえる。また、「日本人論」の問題点は、「『日本人はこうである』といいながら、暗に『日本人はこうあるべきだ、レッキとした日本人ならこう行動すべき』と主張」(ハルミ・ベフ p.49)する場合、それは「現代日本人の道徳読本」(同上 p.50)となり、「日本人らしい」とされる行為を「しないことはあたかも日本人でない、非日本的行為であるかの如くにとられる」(同上 p.49)ところにある。単一で均質な「日本人」を前提にしていることも問題だろう。マイノリティを排除した「日本人」像では、マイノリティの人々からの異議申し立ては「日本人らしくない行為」と見なされてしまう。「日本会議へんないきものは日本人らしくないよね」とか言われちゃうのだ。

 

おまけ:替え歌つくったった。

 

「超真性 カバシマン」(「超新星フラッシュマン」)
祖国にピンチがやってくる 真っ赤な思想は危ないぜ
荘厳の宇宙から おう 今こそ 帰って来たぞ サムシンググレート
俺達 ハートは一緒さファイヤー タカハシ怒りの う、う、う、親学
モモチッ モモチッ モモチッ モモチッ 改憲の意味なんて
アベシッ アベシッ アベシッ アベシッ 忘れたのさ
モモチッ モモチッ モモチッ モモチッ 何かを言う前に
アベシッ アベシッ アベシッ アベシッ 忘れたのさ
輝く明日へ 頭がパアッー 超真性 カバシマン


引用文献
伊藤哲夫中川八洋八木秀次(1999)「本当は恐ろしい日共大躍進!今こそ反共の砦を築け」『諸君』1999年7月号 文芸春秋
百地章・石井昌浩・三好祐司 (2007)『いま、教育の大転換が始まる!新教育基本法と教育の再生』明成社
椛島有三(2002)「教育行政の責任の明確化こそ教育改革の出発」『祖国と青年』282号 日本青年協議会
椛島有三(2003)「青少年の心の闇に愛国心教育の光を 教育基本法は何故改正されなければならないか」『祖国と青年』300号 日本青年協議会
山岸俊男(2008)『日本の「安心」はなぜ、消えたのか 社会心理学から見た現代日本の問題点』集英社
ハルミ・ベフ(1987)『イデオロギーとしての日本文化論』思想の科学社