【トンデモ】小川壺太郎「保守の本気を問う 安倍壺三の背負う『巨大過ぎる宿命』」(『正論』2014年3月号)

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 原理を研究し、鮮明に統一された「安倍政権激動の一年、激動の第一幕が終わりました」…「安倍政権でどうしても達成しなければならぬゴールは何か。言ふまでもなく憲法改正です」…「ここを外すと、日本は自立した尊厳ある国家に戻る機を半永久的に失ひ、日本民族の歴史が終わるといふ程の大事業です」(p.106)。エバ国家日本をとりもろす。「安倍氏が本当の日本を、本気で取り戻さうと思つてゐる」…「ところが、この敵だらけの安倍氏の心情的な基盤となるべき草の根保守や保守論壇が、どうにもぶれる。安倍氏一筋の忠義を尽くせない」(p.107)。勘ぐれ。サムグレ(サム晋三グレート)を崇めよ。もっと強気で行け。「我々政権を応援する側が増税延期のやうな不可能な注文を出すことなど、万一にもあつてはなりません」(p.109)。もうダイレクトに行くぞ。失敗したらまずいから。「最も勝つべき主題だけに絞り、それだけは勝ち取らねばならない。それは、歴史認識靖国であり、国語、歴史、道徳教育の再生であり、その終着駅としての憲法改正だ」(p.110)。なにこの日本シャンバラ化計画のようなものは…。修行するぞ修行するぞ修行するぞ。「倒産したら人生が終わりといふビジネスでのギリギリの勝負以上の『恐れと戦き』を身内に漲らせながら、本当の戦を戦はうとしない限り、安倍政権下で保守の理念を取戻し、明日の日本に繋げる事など到底不可能」…「私は、安倍信者と揶揄されることも多いが、私の氏への『忠義』は、以上の国家的な『恐れと戦き』に裏打ちされたものなのだ」(p.115)。安倍首相がんばれ!安倍首相がんばれ!統一協会、名称変更よかったです。個人の救済を目指す宗教の段階を終え、理想家庭の実現を通して神様の夢である地上天国と天上天国の建設を目指す家庭時代が到来(ry

 

引用文献
小川榮太郎(2014)「保守の本気を問う 安倍総理の背負う『巨大過ぎる宿命』」『正論』2014年3月号 産経新聞

【トンデモ】小川壺太郎「『保守主義者』宣言」(『正論』2017年3月号)

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 「戦後イデオロギーは、今や完全に全日本人の遺伝子に浸透し、保守的な『生き方ないし考へ方の根本』そのものが、日本人から失はれてしまつた。保守を自称する人達も例外ではない」(p.76)。無職…いや、痴漢評論家の小川壺太郎氏(ハイチョ)は、生き方ないし考へ方の根本が鮮明に統一された真の保守である。そんなハイチョにオヌヌメのホムーページがあつた。https://www.hellowork.go.jp/ である。「今の『保守』は」…「特攻隊に感動する一方で、電通の女子社員自殺に異様な共感を示す人命至上主義者かもしれない」(p.77)。日本人が歴史の持続の中で鍛へあげてきた「和民」の精神をとりもろし、「ありがとう」を集めることが真の保守なのである。人間は食べ物がなくても「感動」を食べるだけで生きていける。皇軍は食う物がなくても戦いをしなければならないのだ。兵器がない、やれ弾丸がない、食う物がないなどは戦いを放棄する理由にならぬ。弾丸がなかったら銃剣が(ry

 

引用文献
小川榮太郎(2017)「『保守主義者』宣言」『正論』2017年3月号 産経新聞

【書評のようなもの】中牧弘允・ウェンディ スミス編『グローバル化するアジア系宗教』

 統一教会などによる「『信教の自由』や『宗教的寛容』を求めるロビィ活動がアメリカ議会や学会等で行われている」(p.60)。アメリカの宗教研究の「雑誌では筆者に論文を依頼したにもかかわらず」「統一教会批判の論文を寄稿すると、事実誤認や論理展開上の問題点を指摘するでもなく、意味不明の断り方をしてきたことが何度かある」(p.61)。うわー。「統一教会は、欧米では宗教団体として活動し、韓国では多国籍企業、日本ではアンダーグラウンドにおいて人材と資金調達を行っている」(p.68)。「文鮮明によれば」「堕落論では不幸の原因である原罪の真相が解き明かされる。原罪は後にサタンとなる堕天使ルーシェルと人類始祖のエバが姦淫・不倫を犯し、神に背いた悪の血統がアダムを経て人類全てに相続されている」(pp.68-69)…。堕落しぐさ。統一教会は「日本では1964年に久保木修己を初代会長にして宗教法人の認可をえる。1966年に全国大学原理研究会が創立され、大学生・青年の伝道が活発化する。1968年に国際勝共連合が設立され、反共政治運動を始める。1973年には世界平和教授アカデミーを設立し、学術・言論界に働きかける」(p.69)。「日本における統一教会の活動は宗教法人統一教会を軸にして、①学生・大学人を信徒やシンパとする大学組織(原理研究会世界平和教授アカデミー)、②統一教会の活動に特別な便宜を図る保守政党政治家と韓国の朴大統領の反共政権を翼賛する政治運動(国際勝共連合)、③これらの活動を可能にする資金を調達するための経済部門から成り立っていた」(pp.69-71)。安倍壺三氏などの真の保守政治家は「堕落したエバ国家の日本」(p.74)をトリモロそうとしているのである。真の保守は文が鮮明。

 

引用文献
櫻井義秀(2012)「統一教会の宣教戦略と組織構造 グローバル化とマネジメントの視点から」中牧弘允・ウェンディ スミス編『グローバル化するアジア系宗教 経営とマーケティング東方出版

【トンデモ】小川壺太郎「『文藝春秋』の憂鬱 消えゆく大人の常識」(『正論』2014年9月号)

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 文が鮮明に統一された痴漢評論家・小川壺太郎氏(ハイチョ)は「日本の世間といふものは、かつて大人の世界だつた」(p.174)…「戦後になつて、日本に大人の癖に子供といふ困った人種が大量に現れた。学者とか物書きとか言はれる人達です」(p.175)などと述べている。高橋偽史朗氏とか八木禿次氏とか小川壺太郎氏とかのことですね、わかります。「『言葉』を子供に占拠されると、徐々に、それまで通用してきた大人の常識の方が間違ひだといふことになつてくる。大人の居場所がなくなる」(p.176)…。そっ閉じ。

 

引用文献
小川榮太郞(2014)「『文藝春秋』の憂鬱 消えゆく大人の常識」『正論』2014年9月号 産経新聞

【トンデモ】小川壺太郎「政治は『生きづらさ』という主観を救えない」(『新潮45』2018年10月号)

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 文が鮮明に統一された小川壺太郎氏によれば「アダムとイブが股間を意識して以来、Homo sapiensは、動物的な生殖行為ではなく、羞恥すべきタブーにして密かな快楽としての性を生きる『人間』になった」(p.84)のだという。あっ…(察し)。小川壺太郎氏はルーシェルによって堕落したエバのようなものであり、「私の性的嗜好も曝け出せば、おぞましく変態性に溢れ、倒錯的かつ異常な興奮に血走り、それどころか犯罪そのものでさえあるかもしれない」(同上)のである。
 「私は社会人として通用する昼の顔を持っていると思う」(同上)…。えっ。お前がそう思うんならそうなんだろう、お前ん中ではな。
 「杉田氏は概して弱者の名のもとにおけるマスコミの異常な同調圧力、それらと連動しながら強化されてきた様々な弱者利権、それがしばしば外国による日本侵食工作と繋がっている事の深刻な害毒と戦ってきた人だ」(p.85)などと危ないデムパを放つ小川壺太郎氏は、統一協会(家庭連合)と繋がっている。そのため「周知のように共産党宣言は」(p.86)と突然、勝共しぐさしちゃうし、八木秀次氏のように「雌雄同体に憧れるならカタツムリに生まれればいい」(同上)とカタツムリしぐさしちゃう。「LGBTも私のような伝統保守主義者から言わせれば充分ふざけた概念」(p.88)とのことであるが、保守主義(conservatism)なるものは文が鮮明に統一された概念であり、それはムーニズム(moonism)に他ならない。
 「満員電車に乗った時に女の匂いを嗅いだら手が自動的に動いてしまう、そういう痴漢症候群の男の困苦こそ極めて根深ろう」…「彼らの触る権利を社会は保障すべきでないのか」(同上)…。そっ閉じ。

 

引用文献
小川榮太郎(2018)「政治は『生きづらさ』という主観を救えない」『新潮45』 2018年10月号 新潮社

【トンデモ】八木秀次「LGBT 法整備『暴走』を危惧する」(『正論』2018年10月号)

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 文が鮮明に統一された八木秀次氏は、世界日報…ではなく産経新聞社の『正論』で「自民党杉田水脈衆議院議員が『新潮45』8月号に寄稿した『「LGBT」支援の度が過ぎる』をめぐる一連の動きについて論じ」(p.40)ている。「一連の動きで懸念されるのは、LGBTを少しでも批判しようものなら『ナチスの優生思想』の持ち主と叩かれ、LGBTへの批判的言及がタブーになることだ。また、それに乗じてLGBTへの法整備が暴走することだ」(p.41)とのことであるが、一連の動きで懸念されるのは、勝共思想の持ち主の八木秀次氏が暴走することである。

 

引用文献
八木秀次(2018)「LGBT 法整備『暴走』を危惧する」『正論』2018年10月号 産経新聞

【トンデモ】井尻しぐさ

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 文が鮮明に統一された井尻千男氏は、次のようなデムパを飛ばしていた。「陽焼けしたガングロ肌に白っぽい口紅さして」…「そんな姿の少女たちを盛り場やメディアで見るたびに、漫録おやじとしては、腹を立てずにいられない。少女たちの情操教育に失敗したことが歴然と現れているからだ。少女ひとりまっとうに育てられないような国家と民族は滅ぶにきまっているのである」…「あのみっともないファッションは」…「美醜についての歴史的確信をすっかり喪失してしまった親世代の内面の表出にほかならない」(p.63)…。えっ。「なおいえば、戦後の日本人が放棄したものは戦争ばかりではなく、戦わなければ守れないすべての価値観、たとえば常識として心得るべき善悪や美醜についての歴史的確信を放棄してしまった」(p.64)…。つまり、霊感商法は悪であるという常識を放棄してしまったのである。「彼女たちは日本人に生をうけたこと自体を無意識の領域で憎悪している。それほどでないにしても愛していない」(pp.64-65)。そっ閉じ。

 

引用文献
井尻千男(2000)『漫録おやじ日本を叱る』 新潮社