文が鮮明に統一された痴漢評論家・小川壺太郎氏(ハイチョ)は「日本の世間といふものは、かつて大人の世界だつた」(p.174)…「戦後になつて、日本に大人の癖に子供といふ困った人種が大量に現れた。学者とか物書きとか言はれる人達です」(p.175)などと述べている。高橋偽史朗氏とか八木禿次氏とか小川壺太郎氏とかのことですね、わかります。「『言葉』を子供に占拠されると、徐々に、それまで通用してきた大人の常識の方が間違ひだといふことになつてくる。大人の居場所がなくなる」(p.176)…。そっ閉じ。
文が鮮明に統一された痴漢評論家・小川壺太郎氏(ハイチョ)は「日本の世間といふものは、かつて大人の世界だつた」(p.174)…「戦後になつて、日本に大人の癖に子供といふ困った人種が大量に現れた。学者とか物書きとか言はれる人達です」(p.175)などと述べている。高橋偽史朗氏とか八木禿次氏とか小川壺太郎氏とかのことですね、わかります。「『言葉』を子供に占拠されると、徐々に、それまで通用してきた大人の常識の方が間違ひだといふことになつてくる。大人の居場所がなくなる」(p.176)…。そっ閉じ。
文が鮮明に統一された小川壺太郎氏によれば「アダムとイブが股間を意識して以来、Homo sapiensは、動物的な生殖行為ではなく、羞恥すべきタブーにして密かな快楽としての性を生きる『人間』になった」(p.84)のだという。あっ…(察し)。小川壺太郎氏はルーシェルによって堕落したエバのようなものであり、「私の性的嗜好も曝け出せば、おぞましく変態性に溢れ、倒錯的かつ異常な興奮に血走り、それどころか犯罪そのものでさえあるかもしれない」(同上)のである。
「私は社会人として通用する昼の顔を持っていると思う」(同上)…。えっ。お前がそう思うんならそうなんだろう、お前ん中ではな。
「杉田氏は概して弱者の名のもとにおけるマスコミの異常な同調圧力、それらと連動しながら強化されてきた様々な弱者利権、それがしばしば外国による日本侵食工作と繋がっている事の深刻な害毒と戦ってきた人だ」(p.85)などと危ないデムパを放つ小川壺太郎氏は、統一協会(家庭連合)と繋がっている。そのため「周知のように共産党宣言は」(p.86)と突然、勝共しぐさしちゃうし、八木秀次氏のように「雌雄同体に憧れるならカタツムリに生まれればいい」(同上)とカタツムリしぐさしちゃう。「LGBTも私のような伝統保守主義者から言わせれば充分ふざけた概念」(p.88)とのことであるが、保守主義(conservatism)なるものは文が鮮明に統一された概念であり、それはムーニズム(moonism)に他ならない。
「満員電車に乗った時に女の匂いを嗅いだら手が自動的に動いてしまう、そういう痴漢症候群の男の困苦こそ極めて根深ろう」…「彼らの触る権利を社会は保障すべきでないのか」(同上)…。そっ閉じ。
文が鮮明に統一された井尻千男氏は、次のようなデムパを飛ばしていた。「陽焼けしたガングロ肌に白っぽい口紅さして」…「そんな姿の少女たちを盛り場やメディアで見るたびに、漫録おやじとしては、腹を立てずにいられない。少女たちの情操教育に失敗したことが歴然と現れているからだ。少女ひとりまっとうに育てられないような国家と民族は滅ぶにきまっているのである」…「あのみっともないファッションは」…「美醜についての歴史的確信をすっかり喪失してしまった親世代の内面の表出にほかならない」(p.63)…。えっ。「なおいえば、戦後の日本人が放棄したものは戦争ばかりではなく、戦わなければ守れないすべての価値観、たとえば常識として心得るべき善悪や美醜についての歴史的確信を放棄してしまった」(p.64)…。つまり、霊感商法は悪であるという常識を放棄してしまったのである。「彼女たちは日本人に生をうけたこと自体を無意識の領域で憎悪している。それほどでないにしても愛していない」(pp.64-65)。そっ閉じ。
引用文献
井尻千男(2000)『漫録おやじ日本を叱る』 新潮社
「1982年秋、教科書検定問題がおこり、文部省が、中国側の抗議をいれて、『南京大虐殺』についても、これまでの検定方針を改め、教科書執筆者の比較的事実に近い記述を認めざるをえなくなると、旧軍人や保守派の文化人のあいだに反発がおこって、『南京大虐殺まぼろし化工作』ともいうべきうごきが再び活発になってきた。ことに1983年からは、『偕行』『月曜評論』『世界日報』『じゅん刊・世界と日本』『全貌』『サンケイ新聞』『諸君!』『正論』などに拠って、『南京大虐殺』否定の大キャンペーンが始まったのである」(p.3)。文が鮮明に統一された「渡部昇一氏は、田中正明氏の『“南京虐殺”の虚構』(1984年、日本教文社)の推薦文(同書オビの広告文)で、『本書を読んで、今後も南京大虐殺を言い続ける人がいたら、それは単なる反日のアジをやっている左翼と烙印を押してよいだろう』と、ずいぶんきわどい発言をあえてしている」(p.12)。あっ…(察し)。
「日本は、少なくとも対英米戦争は自存自衛のため立ち上がった。大東亜戦争を侵略戦争とする議論には絶対に同意できません」(pp.10-11)とデムパを飛ばす瀬島龍三氏。「戦時中、大本営参謀として陸軍を動かした瀬島は戦後、商社マンに転身し、それから30年足らずで政財界の中枢部に駆け上った」(p.284)。「瀬島龍三は戦後、韓国賠償ビジネスなどで活躍」(p.302)…「戦後賠償ビジネスを足掛かりにアジアへ進出した日本。賠償金は相手国や日本の政財界を潤し、戦争で傷ついた人々を置き去りにした」(同上)。「日本から韓国に支払われることになった5億ドルは、以降の日韓政財界の癒着の温床となった」(p.31)。日韓癒着しぐさ。
引用文献
共同通信社社会部編(1999)『沈黙のファイル 「瀬島龍三」とは何だったのか』新潮社