八木禿次氏は「西部氏との付き合いは20年以上になる」…「西部氏の存在を知ったのは、大学3年のゼミで同級生から著書『大衆への反逆』を紹介されたのが切っ掛けだった」(p.330)と述べている。その後、八木禿次氏は「月刊誌『発言者』の執筆陣の中に入れてもらい、長く連載させてもらった。最初の原稿で自身のプロフィールに『保守主義の立場から』と書き、以降、自らを『保守主義者』と任ずるようになった」(p.331)…。“真の保守”は文が鮮明で「神側」(統一協会側)であるが、八木禿次の「髪」は保守できないのである。