【トンデモ】小川壺太郎「電通事件を考える 『電通鬼十則』どこが悪いのか」(『Hanada』2017年3月号)

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 電通過労自殺事件について「私はこの事件をよくは知らない」…「実はあまり詳しくは知らずにこれを書いている」(p.91)などと意味不明な供述をする小川壺太郎氏(ハイチョ)は、詳しくは知らないが痴漢評論家(無職)であり、エバ国家日本を美しい「和民國」にしようとしている。「この残業時間も、この程度の過少申告も、日本社会の常識に反する極端なものではあるまい」…「過労を苦にした自殺というから、最初、私は一体どれだけ長期間、どれだけ非常識な残業を拒否できない状況下で強いられたのかと思ったが、1ヵ月当たりの残業超過が規定より三十五時間超というのは、日本社会での法に対する現場対応としては常識の範囲内という他はない」…「労働安全衛生法は、月当たりの残業時間が百時間を超えた場合に産業医面談を指示しているが、これは逆に言えば、このくらいの残業は日本社会の常識の範囲内だということを意味していよう」(p.92)…。そんなハイチョにオヌヌメのホムーページは、もちろん https://www.hellowork.go.jp/ である。「少なくとも江戸時代以来、日本の労働文化は、『多く働き多く豊かになる』を社会的な合意として成熟してきた」(p.94)…「一人の自殺者が出たからといって、それを基準に社会全体を『改良』しようなどという無法なことをすれば、日本の労働文化のあり方を是とし、いまでも猛烈に働くことを喜んで選択している無数の日本人の人生を否定することになり、その結果、我々が享受している生活をも否定することになる」(pp.94-95)…「死を利用して日本の労働慣習を脅し上げるなど、見当違いも甚だしい」(p.97)…。エバ国家日本の労働文化、すなわち「和民」の精神を守ることが真の「保守」なのである。

 

引用文献
小川榮太郎(2017)「電通事件を考える 『電通鬼十則』どこが悪いのか」『Hanada』2017年3月号 飛鳥新社