【書評のようなもの】西田公昭『「信じるこころ」の科学』

 「A教団はキリスト教の一派と名乗る新興宗教であり、『真の父』と呼んで教祖を絶対的に崇拝してい」(p.98)る。勧誘の際、「彼らは最初にはとても親切でやさしい人を装い」(p.99)、断りにくい状況をつくる。「入信過程の入り口である『ビデオセンター』と称するところに通って学習することにした動機の項目に因子分析」(p.101)しぐさで「その結果は、自己高揚動機と認知動機の高いことを示し」(p.103)た。自己高揚動機は“人生の目的や使命が分かると思ったから”“生きがいが見つかると思ったから”などで、認知動機は“面白そうな、ためになる内容のような気がしたから”“世の中の出来事や歴史や未来が分かると思ったから”といったものであり、宗教教義を学びたいという動機ではない。「A教団の伝道は、驚くことに宗教的な動機をもたない者をも入信させる技術をもっている」…「その本質は徹底した好意と誠意の呈示と目的のカムフラージュで」(p.106)あるといえる。ビデオセンターに出向いた理由の因子分析しぐさでも「一般教養が身につくといった期待性が高く、宗教へ入信しようという理由ではなかった」(p.108)のである。入信決定までいってしまった信者は「知ってしまった以上、この道しかない」(p.128)。あっ…(察し)。「A教団の内部では、集団外の人では理解しない特殊な言葉があり、『摂理』『アダム・エバ』『アベル・カイン』」(p.168)…。そっ閉じ。

 

引用文献
西田公昭(1998)『「信じるこころ」の科学 マインド・コントロールとビリーフ・システムの社会心理学サイエンス社