適当に抜粋しぐさ。
『佛所護念』昭和46年6月1日
「第三回自主憲法制定国民大会は」…「三島事件の影響もあり、一歩前進という空気が強かった」…「岸信介元総理から『現憲法の制定当時は物心両面で大混乱の最中だっただけに日本人の真の意思が反映されていない」…「利己的行動を無制限に許すという姿も出ており戦後これらの諸悪の根源は、正に現憲法にある』と挨拶があった」…。利己的行動をする岸ぴょん乙。
『佛所護念』昭和47年9月1日
「国難来る」…「中共の狙いが、自由国家の分断、日本、米国の孤立化、そして日本への怒涛の赤化攻勢、ときたら思想音痴の日本民族は、ひとたまりもない」…。
「ABCD包囲陣」…「パール判事」…「戦後27年もたつのに、恐るべし自虐の行きすぎを意図的にやる者がなお多い」…。この手のデムパは今も多い。
『佛所護念』昭和49年5月1日
「『日本を守る会』が4月2日、東京の明治記念館で結成式を挙げた」…。安岡正篤氏が「国内に於いてはデモクラシーがデモ・クレージー」…。
『佛所護念』昭和50年12月1日
「『日本を守る会』主催の昭和50年を祝う国民の集い」…「福田信之」などが祝意表明…。あっ…(察し)。
『佛所護念』昭和51年10月1日
「北方領土復帰促進全国青年・婦人現地研修」…「国際勝共連合」…。
『佛所護念』昭和52年3月1日
「日華問題協議会」は「佛所護念会教団ほか11団体」で「国際勝共連合」も…。
『佛所護念』昭和52年4月1日
「戦後の日本人はモラルが低下、狂った世相が随所に見られる」…。狂ってる?それ、誉め言葉ね。
『佛所護念』昭和52年5月1日
「田中正明氏」…「日本無罪論」…。はい有罪。
『佛所護念』昭和52年6月1日
「近年マスコミ、特に新聞の偏向報道」…「勇気ある正論を主張し続けるサンケイ新聞」…「良識をとり戻すためにサンケイ新聞の読者拡大に協力しようではありませんか」…「意見広告という形で、佛所護念会の道徳、倫理問題の考え方を好意的に掲載」…。
『佛所護念』昭和54年7月1日
「『たのしくまなぶ12のちかい』」…「ソ連や中国でも、教育勅語と近似した内容が、小学生守則として教えられています」…。共産圏と似てても良いんだ…。
『佛所護念』昭和57年7月1日
「昨年、参議院の予算委員会に参考人として出席『偏向教科書の実態』を証言した高千穂商大・名越二荒之助教授が、6月8日の本部供養会で1時間にわたり講演」…。