「ネット右翼」と新聞報道①

はじめに
 ここでは主に2000年代に「ネット右翼」がどのように新聞で報じられてきたかをまとめ,若干の考察を加える.

 

朝日新聞
 2006年5月5日の朝日新聞朝刊では 「ネット右翼」を「自分と相いれない考えに,投稿や書き込みを繰り返す人々を指す.右翼的な考えに基づく意見がほとんどなので,そう呼ばれるようになった」としている.あるネット右翼は「30代半ば.かつては小説を出版したこともあるが,いまは無職.両親と同居し,昼夜逆転の生活」「共産主義に傾倒した時期もあったが,『だんだん国を愛する気持ちが強くなった』」「『朝日新聞を筆頭に既存メディアの報道に感じる違和感を消化するため,僕は僕なりの考えで調べ,主張する』」のだという.そしてもう一人のネット右翼は「30代の大学教員.拉致問題や安全保障をテーマにしたブログを運営しながら,北朝鮮への姿勢が『甘い』と思う評論家やマスコミを批判してきた」.この人物は「左翼的な意見に批判的な私たちは,自由に語れる場がなく窮屈な思いをしてきた.ネットの普及がはけ口をくれた」とし,「ネット右翼を『素朴な愛国心から過激な民族主義に至るまで,雑多な主張の総体』と」する.
 2007年2月28日 の朝日新聞朝刊では「過激に他国を攻撃する『ネット右翼』の存在が注目されている.しかし,排外的な愛国心は,ほんとうにそれほど高まっているのだろうか」と疑問を投げかける.「朝日新聞社が06年12月に行った愛国心を巡る世論調査では,『日本に生まれてよかった』と答えたのが94%.『愛国心がある』が78%だった.一方,日本の過去のアジアへの侵略については,『反省する必要』を認める人が85%にのぼる.歴史の反省と愛国心共存している」「また,『愛国心が大いにある』と答えた人は年齢が高いほど多く,20代では1割に満たない」のである.鈴木謙介氏は「世の中が危険視するほどネット右翼がたくさんいるとは思わないし,若者がそれに影響されているともいえない」と述べている.
 2009年4月22日の朝日新聞夕刊では「現実主義」の保守論客の永井陽之助氏が亡くなり,追悼文が寄せられていることを記事にしている.その中で「『諸君!』休刊にみる通り,左翼という敵を失った保守論壇誌の勢いは後退する一方,ネット右翼や,より過激な言論を展開する雑誌『WiLL』などが新読者をつかんでもいる」という状況があると指摘している.保守論壇については2007年8月22日の朝日新聞朝刊で『諸君!』と『正論』の発行部数が減っていることを取り上げている.『諸君!』編集長は「05年9月~06年8月の発行部数は平均約8万2千部」「01年の小泉首相靖国参拝や02年の拉致問題では『こんなに売れるのかと思うほど好調だったが元に戻った』」と述べている.そして「勢いがないのは『正論』も同じ.発行部数8万7千部」で「前年から6千部減」.「ピークは02年で,約2万部落ちた」.その一方,「急速に存在感を増すのが05年1月創刊の『WiLL(ウィル)』」で,「創刊当初より2万部多い6万~7万部を実売する.売りはネット世代の若者にも読みやすいコンパクトな構成と過激さだ」という.
 なお,最初の「ネット右翼」に関する記事は1997年8月10日の朝日新聞朝刊である.小林よしのりファンの大学生は「ホームページ『よしりんウオッチ』」を開設していた.彼は「居酒屋で,『戦争』が話題になった」ときに「『先の戦争は侵略の要素もあるが,自衛戦争でもあった』と主張した」という.そして「電子メールで誘われて,文部省前での集会に参加した」(1997年2月3日の教科書デモ)こともあった.当時の「ネット右翼」(小林信者)は今の「ネット右翼」よりは差別主義的ではなかった.とはいえ当時からインターネット上での差別はある.1999年9月10日の朝日新聞朝刊では「HPや掲示板に差別ネタが増え始めたのは,三年ほど前から」「この種のHPや掲示板は一九九七,九八の両年が二十件ずつで,今年は半年だけで十五件.あざけりの対象は被差別部落や在日韓国・朝鮮人,障害者に集中している」と報じている.

 

毎日新聞
 2006年7月31日の毎日新聞(東京)朝刊では,右翼活動家が「高校生の時に漫画家,小林よしのり氏の『戦争論』を読」み,「生まれた国が初めて誇らしく思えた.国に自信を持つことで,自分まで自信が持てるような感覚.図書館で同種の主張の本を探し,読みふけった」というエピソードを紹介している.また「月刊核武装論」のサイトを運営する人物は「『このまま日本は衰退するのでは』.自分の将来も不安だった.三島由紀夫らの著作に夢中になり,『戦争論』も読んだ.『周りとは違うんだ』.そう感じて,本にのめり込んだ」という.「ネットで知り合い,核武装を議論するのは,50代など年配の人がほとんどだ」とのことであった.
 しかし同記事では若者の問題にされてしまう.「98年出版の『戦争論』は,3部まで計約180万部売れた.この時代,インターネットの利用者も爆発的に増加.若者たちが,自らの主張を不特定多数の社会に発信する手段を得た.愛国や反中国,反韓国を訴える書き込みが激増し,『ネット右翼』の言葉も生む.社会学者の鈴木謙介さんは『不況で雇用不安の中,若者が不安定な自己を守るために排他性を高め,普及したネットで排外的,愛国的な主張を発信している』と指摘する」.

 

読売新聞
 2002年4月26日の読売新聞(大阪)朝刊では「〈いまこそ赤報隊が必要〉」「〈犯人は英雄.やったことは正しい〉」「朝日新聞阪神支局襲撃事件の時効を前に,インターネットにはこんな文字があふれる」という実態を報じている.そして「インターネットで,『差別ネット』が増殖している」「矛先は被差別部落,障害者,外国人などに向けられる」という.「差別ネットの実態を調べている三重県の団体職員」「に寄せられた情報提供は昨年,二百五十件を超えた」.昨年夏,団体職員は「ある差別ネットに書き込んでいる人たちが集まる会合に参加した.お互い名前は明かさない.平日の昼間の喫茶店に現れたのは,二十歳代の会社員や高校生.街角で見かける普通の若者たちだった」.
 同記事では辛淑玉氏に「昨年初め,身に覚えのない非難のメールが届き始めた」ことを紹介している.「辛さんはその前年,石原慎太郎東京都知事の『三国人』発言を批判.直後からネットで『反日』と名指しされ,無断でメールアドレスを公開された.ホームページで彼女への中傷攻撃が始まった」のである.これは「赤報隊」に通じるものがある.「『赤報隊』を名乗った犯人が最後の犯行声明を送りつけてきたのは,一九九〇年五月の愛知韓国人会館放火事件だった.『反日的な在日韓国人をさいごの一人まで処刑していく』と,外国人差別をむき出しにした」「赤報隊の標的は次々と変わったが,犯行声明文から一貫しているのは,意見や文化,民族など,自分たちと考えを『異』とするものに対し,『認められない』という独善的な姿勢だ」.

 

おわりに
 「ネット右翼」は,新聞報道では「若者」の問題にされがちであるが,文字通り「右翼」の動向を踏まえて捉える必要がある.従来は見えなかった潜在右翼がインターネットで可視化され,「ネット右翼」と呼ばれるようになったのだと考えられる.
 2001年10月4日の朝日新聞朝刊では「赤報隊」事件を取り上げている.それによれば「産経新聞社発行の月刊誌『正論』5月号で,独協大教授の中村粲氏が朝日新聞の教科書問題報道を批判し」ているが,その中で中村粲氏は「かつて朝日は銃弾を撃ち込まれ,その後暫くは大人しくしてゐたやうだが,昨今の朝日の傍若無人とも思へる偏向紙面を見ると,まだお灸が足りないやうだ」と述べていたという.「正論編集部は『誤解を招く表現だった』と,翌月号で『おわび』を掲載し」た.
 さらに朝日新聞の同記事では「反日」という言葉に着目する.「『おまえは反日だ』.若者たちのインターネットの掲示板で最近,こんな言葉が飛び交う」.ここでも「若者」の問題にされてしまっているが,「反日」は保守論壇でも見られる.鈴木邦男氏は「『反日』をまん延させたのは赤報隊だ.事件前には右翼もほとんど使わない言葉だった」と述べる.「赤報隊の一連の犯行声明には,『反日分子を処刑』『反日マスコミ』『反日企業』など『反日』の文字が計19カ所もある」.