【書評のようなもの】櫻井義秀編『アジアの公共宗教』

 「統一教会は日本の右派政治家やフィクサーたちと初期から関係を持った」…「笹川と岸は1967年7月に山中湖畔の笹川私邸で文鮮明と会合を持ち、翌年1月に韓国で国際勝共連合が発足し、同年4月に日本の国際勝共連合が発足した。会長は統一教会会長である久保木修己、名誉会長は笹川良一、顧問団には玉置和郎他自民党政治家が名を連ねた。玉置和郎は1964年に発足した生長の家政治連合の支援を受けて参議院議員に当選していた」(p.159)。
 「統一教会の摂理史観によれば、世界は韓国をメシアの国とする地上天国となり、日本は韓国に屈服することになるのであるから、この歴史観を現在の保守的政治家や右派政治運動に示せば、まったく相手にされないだろう」(pp.164-165)。しかし、八木秀次高橋史朗らは、統一教会の「世界日報」に登場したり、世日クラブで講演をしている。
 「日本の保守的政治家や知識人もその点を飲み込んで統一教会を使っていたのか、あるいは統一教会に使われていたのか判然としない部分がある。日本会議の前身である『日本を守る国民会議』が1981年に設立会議をもち、福田信之(元筑波大学長)はその時の発起人となる。福田は、世界平和教授アカデミー教授にして同アカデミーの企画委員長だった。そして、松下正寿(元立教大学長)世界平和教授アカデミー初代会長もこの設立会議に参加」…「笹川、岸以来の右派的保守政治家に加え、一部大学人も巻き込んだ保守政治サークルを通じて国際勝共連合日本会議ともつながっていた」(p.165)。
 かつて高橋史朗は、世界平和教授アカデミーの"誘いも断り、明確に一線を画している"としていた。しかし今では一線を画さず(隠さず)、文が鮮明に統一されている。これが"真の保守"の実例なのである。

 

引用文献
櫻井義秀(2020)「戦後日本における二つの宗教右派運動 国際勝共連合日本会議」櫻井義秀編『アジアの公共宗教』北海道大学出版会