【書評のようなもの】ケネス・ルオフ『天皇と日本人』

 「1995年、阪神淡路大震災のときの江藤淳による激しい攻撃」(p.36)は、『文藝春秋』のエッセイで「[天皇と皇后は]何もひざまずく必要はない」…「国民に愛されようとする必要も一切ない」(pp.36-37)というもの。これが江藤しぐさの実例です。つまり、跪くのは天皇ではなく久保木なのであって、まさにオウムの高橋史朗の主体変容なのだ。
 「右翼はさほど天皇のことも皇室のことも心配しているわけではありません。彼らが気にかけているのは自分たちのことなのです」…「右翼は天皇のことなど気にしていないのです。彼らにとって、天皇は自分たちの大義を主張するための道具にすぎないのです」(p.150)。なので八木秀次たちはY染色体とか言っちゃう。
 渡部昇一天皇を気にしていない。「渡部はさらに、現天皇はあちこち出向くことで国民に姿を見せようとなさっているが、そうまでなさる必要はないとも述べてい」(p.197)た。彼らは文鮮明ぺろぺろのペロリストなのである。
 世界日報にも出ちゃう「竹田恒泰は、女系が容認されるくらいなら、天皇制はなくなったほうがましだとまで発言してい」(p.208)る。Y染色体を守る会は、原理を研究して親米反共(勝共)のあべぴょん大統領を望み、統一された美しい安倍壺三記念共和國を創造しようとしている。

 

引用文献
ケネス・ルオフ、木村剛久訳(2019)『天皇と日本人 ハーバード大学講義でみる「平成」と改元朝日新聞出版