【書評のようなもの】中村圭志『西洋人の「無神論」 日本人の「無宗教」』

 「アメリカでは福音派とかファンダメンタリストとか呼ばれるプロテスタント系の宗教保守勢力が人口の一定程度を常に占めている(20%前後)。彼らは、創世記の記述に合わない進化論は科学者の妄想である、地球温暖化はリベラルの陰謀であるといった疑似科学的な宣伝を得意としている。宗教保守はフェイクニュースオルタナティブな真実、陰謀史観にかけては先駆者なのである」(p.48)。「ファンダメンタリストは、さまざまな形で保守的な主張を行っている。学校教育は聖書の精神に基づいて行われるべきだ(日本で言えば教育勅語復活を狙うようなもの)」(p.59)云々…。あっ…(察し)。
 「ファンダメンタリストの名を有名にしたのは、1925年のスコープス裁判である。それは進化論教育の妥当性をめぐる裁判であった」…「ファンダメンタリストは全国の笑いものになった」(pp.59-60)。m9(^Д^)プギャーwwwwww
 「ファンダメンタリストによれば、進化論の容認はあらゆる道徳的退廃をもたらすパンドラの箱である。そうした道徳的退廃の中には、アルコール耽溺、ドラッグ、ポルノ、堕胎、ロック、テロ、自殺、共産主義ヒューマニズムなどが入っている(ヒューマニズム=人間主義神主義ではないから邪悪とされる)」(p.64)。「2001年の同時多発テロのとき、キリスト教ファンダメンタリストは、それがリベラルや同性愛者やフェミニストなどのせいだとした」(p.228)…。
 「日本や中国など東アジアでは、宗教的規範への固執よりも、『自国の伝統』とされるものに対する固執のほうが強い。その意味で、欧米の宗教保守やファンダメンタリズムに相当するものは、こちらの世界では宗教とも俗世の政治的動向ともつかない文化的ナショナリズムなのである。アメリカのファンダメンタリストモーセ十戒を学校で教えよと頑張っているように、日本のナショナリスト教育勅語の復活を目指したり、『江戸しぐさ』のようなフィクション伝統を道徳の教科書の中に潜り込ませる」(pp.232-233)。そっ閉じ。

 

引用文献
中村圭志 (2019)『西洋人の「無神論」 日本人の「無宗教」』ディスカヴァー・トゥエンティワン