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【トンデモ】八木秀次『日本国憲法とは何か』

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 八木秀次氏(カタツムリ)は「日本国憲法が前提とする人間観も大いに問題です。憲法の13条には『すべて国民は、個人として尊重される』と、個人が国家やあらゆる共同体の出発点であることが謳われています」「ここで表明されている個人主義は、戦後の日本社会に大きな弊害をもたらしました」(八木 p.41)とか言っちゃう。「子供の自主性を尊重せよという見解が抬頭し」「このような見解によって、今日、教育の現場では様々な混乱が生じ」「学級崩壊や少年非行の増加、風紀の乱れなど」(同上 p.42)…。えっ。じゃあ戦前の少年犯罪や日本軍の軍紀の乱れは…。あっ…(察し)。さらに「今日の家族の問題として、家族の絆よりも個人の自由を尊重すべきだという風潮があり」(同上 p.43)、憲法の「24条は、家族解体条項であるという理解さえ展開されています」(同上)とかデムパを飛ばす。
 「家族は国家・社会の基本単位」、「家族の再生は国家の再生に帰結します。憲法に家族尊重条項を設ける意味はそのあたりにもある」(同上 p.217)…。「今日、家族関係の希薄化や、家族の崩壊が社会問題となり、また、教育荒廃や、青少年犯罪、性道徳の乱れなど、様々な社会問題の背景にあるのが家族崩壊現象だということが指摘されています。そして、社会を建て直すためには、家族の絆を再生させることが必要だといわれています」(同上 pp.215-216)…。
 こうしたデムパの背景は、カタツムリズムの思想家エドシグサ・バーカ(ナカガワ・エイトオーシャン)の影響がある。「戦後の日本では、過去とのつながりを断たれた丸裸の自由や権利があるだけですから、そのために自由の暴走や権利の濫用が生じているのです。バークがいうように、私たちは常に祖先の面前にいるかのように行動し」「自由や権利は日本の歴史の中で培われてきたものだと捉えていけば、私たちの自由はより高貴な自由となる」(同上 p.119)らしい…。「『縦のつながり』を意識することによって、私たちの自由や権利は、高貴で節度ある秩序と両立するものになるのだということをバークの指摘から理解すべき」(同上 p.120)とのこと…。
 八木秀次氏も高橋史朗氏も伊藤テツヲ氏も愛国アイドルももち氏(波平のようなもの)も、社会保障費を抑制し、家族に負担を押し付ける新保守主義。「家族が変わっていったのは、改憲派のいうように、利己主義が蔓延したからでも、親や家族を大切にする習慣がなくなったからでも」(憲法24条を活かす会 p.6)なく、家族は経済成長と密接に関わりながら変わっていった。「経済が発展していた時代には、社会福祉政策も充実し」(同上)たが、「現在では、家族がどんなにがんばって介護しても、限界がはっきりしてきた」(同上)。「憲法24条を変えようとしている人たちは、若い人たちに結婚の意義として、子どもを産み育てる(家族の継続性)義務を説き、育児・介護を家族の扶養義務に」(同上 p.10)して社会保障費を抑制しようとしている。「自民党の『新憲法起草委員会各小委員会』(05年4月)では、『子どもの養育』『親を敬う精神』の尊重を国民の責務とし」「『家族における男女平等は見直すべき』と」(同上 p.52)しており、負担は主に女性に押し付けられるようになる。また、「最近、少年犯罪が『凶悪化している』とか『低年齢化している』とよくいわれ」「自民党改憲議論でも、『子どもの権利を認めすぎた』とか『過度の個人主義』から犯罪が増えたということが実証もなく論じられてい」(同上 p.16)るが、「長いスパンで見ると少年による殺人事件はむしろ減ってきてい」(同上 p.16)るのであり、八木秀次氏や改憲マニアの主張は誤りである。この手のトンデモな議論は昔からあり、1953年に「家族制度復活論が憲法改正の柱の一つに姿をあらわし」「復活論者の言い分は『今の個人主義的な家の制度は、国家の制度をあまりに軽視している』というもの」(同上 p.48)であった。

 

引用文献
八木秀次(2003)『日本国憲法とは何か』PHP研究所
憲法24条を活かす会編(2005)『個人・家族が国家にねらわれるとき』岩波書店