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【書評のようなもの】菅野完『日本会議の研究』

【追記:2016/07/15】菅野完日本会議の研究』は“生長の家原理主義”主導の「草の根」の運動に注目していますが、別の観点の成澤宗男編『日本会議神社本庁』や青木理日本会議の正体』なども参考になります。

 

 菅野完氏の『日本会議の研究』を読みオワタ。例によって書評のようなものを書きたい。
 まず、ネット右翼の書き込みを見ていくと「大半は、『出典』が添えられている。そして、そうした『出典』はほとんどの場合、『正論』『WiLL』『歴史通』といった、『保守論壇誌』」(菅野 pp.6-7)である。菅野氏は「保守論壇人の一部が、これまで『右翼』あるいは『保守』と呼ばれていた人々と、住む世界も違えば主張内容さえ大幅に違う」、「『保守』や『右翼』の基本的素養に欠ける」、「日本会議周辺の保守論壇人は異質」(同上 p.10)ということに気付いてしまう。あっ…(察し)。そう、それはデムパなのだ。保守論壇誌は月刊『ムー』のようなもの。デムパを浴びるためにあるのであって、真面目に読んではいけない。また、「日本会議には多くの宗教団体が参加している。しかしそれは決して『カルトによる支配』でも『宗教右翼の陰謀』でもない」(同上 p.38)という指摘は重要だろう。日本会議は「活動資金が潤沢なわけでも、財界に強力なスポンサーがいるわけでもない」(同上 p.296)。しかし、その運動の中心的人物は、「どんな左翼・リベラル陣営よりも頻繁にデモを行い、勉強会を開催し、陳情活動を行い、署名集めをしてきた。彼らこそ」「愚直に、市民活動の王道を歩んできた人々」(同上 p.297)であり、「『民主的な市民活動』をやり続けていたのは、極めて非民主的な思想を持つ人々だった」(同上)…。
 以下、私の考え。結論は「右傾化」=「トンデモ化」で、彼らのデムパを真に受けちゃダメ。椛島有三氏は「『皇室』と『国防』が一体となった時に、日本人は強くなります」(椛島 p.63)とか言っちゃう。高橋史朗氏は「自閉症とか登校拒否の子供が今、随分増えてきています。それは国家レベルでも同じで、自国の文化、歴史、伝統を自虐的にとらえる国家的自閉症が戦後続いてきた」(高橋 p.19)とか、昔からアレだけど、最近は『300人委員会』を引用。百地章氏は在日韓国人は「差別どころか彼らは日本人以上の特権を有する」(百地 p.180)とか書いちゃう(元は日本会議の冊子。2000年、日本会議のホームページに掲載)。伊藤哲夫氏は「私は大東亜戦争終結後、日本人は寄るべき心の支えを失い、『このままでは、日本は絶望的ではないか』」(伊藤 p.4)…「道徳観が徐々に失われていくことになり、寄るべきは『個の自由』であり『人権』のみであるという世の中になっていきました」「日本社会の美質は年を経るごとに力を失っていき、老人の孤独死や親殺し・子殺し、若者のニートや引きこもり、教育現場の混乱、子供たちの方向性喪失、モラルなき政治の横行など、今日の殺伐とした社会が出現していった」(同上 p.159)…。でも「『教育勅語』の精神が今も精神のDNAとして日本人の心の中に残っていた」(同上 p.8)らしいので、教育勅語は心の支えにならないかも…。ついでに「日本をまもる会」(「日本を守る会」とは別らしい)は戦後50年を振り返り「真の日本は教育勅語精神の充満した道徳性高い心豊かな国家であり、そこにはいじめやオウムの発生する余地はなかった」(名越 p.5)とデムパを飛ばしていた。

 

引用文献
菅野完(2016)『日本会議の研究』扶桑社
椛島有三中西輝政(2012)『日本再興へ! 皇室を守り、尖閣・沖縄を防衛し、中国の脅威に如何に立ち向かうか』明成社
高橋史朗大原康男(1989)「戦後世代が総括する『戦後』」『かくしん』229号 民社党本部新聞局
百地章(2001)「外国人地方参政権憲法違反」田久保忠衛編著『「国家」を見失った日本人 外国人参政権問題の本質』小学館
伊藤哲夫(2011)『教育勅語の真実』致知出版社
名越二荒之助監修(1996)『亡国自虐史観を撃つ 日本の真姿とアジアの使命をめぐる日・韓・台合同シンポジウム』展転社