【トンデモ】高橋史朗の1984

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 「臨時教育審議会の20人の専門委員が中曽根首相によって任命されたのは1984年12月20日」(p.48)。「そのなかで弱冠34歳」「の教育学者が起用された」…「名前は高橋史朗」(同上)…。えっ。教育学者…。これを報じた毎日新聞に「髭をはやした顔写真が載っている」(p.49)。髭しぐさ。現在ではデムパで有名であるが、当時は「日本の教育学界では、ほとんど名前を知られていなかった。ところが、臨教審専門委員に抜擢されたのと前後して、次々と論文を発表する」…「発表媒体をみれば、高橋の思想傾向がおおよそ察しがつく」…「自民党機関紙『自由新報』や勝共連合系列紙『世界日報』に執筆するなどをみると、その体質はより鮮明になる」(同上)…。鮮明しぐさ。あっ…(察し)。
 「アメリカで占領期の資料を“発掘”し、教育基本法は占領の産物であり、不備で、教育勅語は失効していない。そこから教育勅語教育基本法を超越する教育憲章の必要性を主張するのが高橋の論法である。“デビュー”当時は、公正無私な研究者を装っていたが、最近では、自らの意図を露骨にあらわしている」(pp.49-50)。露骨しぐさ。「高橋は、教育基本法を歪曲してきたのは日教組だ、とヒステリックにいいたてる。“若気のいたり”であろうか。冷静な研究者がかくもヒステリックになるのはなぜだろうか」(p.50)。これが“脳内汚染”の実例です。
 「78年10月3日の元号法制化実現総決起国民大会では、壇上で大会決議文を読みあげたのは学生服姿の高橋史朗」(p.52)…。彼の日本教育研究所(トンデモ)は「小中高校での教育実践だけではない。幼児に対しても指導がなされる」(p.55)。「日本の国のお誕生日を祝うと同時に、天皇様に『ありがとうございます』ってお礼言おうね」(p.56)。ありがとうしぐさ。「80年に千葉県松戸市で朝礼の時、小学生に『校長先生は敵が攻めて来たら戦うぞ!』と愛国演説し」(p.57)た小林春光氏…。特技はイオナズンです。はい。敵が襲って来ても守れます。これが“脳内汚染”の実例です。
 「日本教育研究所の設立を1974年11月に正式に決めたのは、日本青年協議会第二回大会であった。以来、日本教育研究所は、日本青年協議会」「を連絡先にしている。電話の応待にも、『日本青年協議会です』というのである」(pp.57-58)。「この日本青年協議会とは」「反憲法学生委員会全国連合(反憲学連)や生長の家学生会全国総連合(生学連)の上部団体なのである。すなわち、日本教育研究所は、生長の家の系列組織の一つなのである」(p.58)。1983年8月に「高橋史朗をまじえて日本教育研究所の教研合宿が開かれ、ここで高橋は、『教育荒廃と日本占領――道徳の復権をめざして』と題して報告、教育荒廃と占領について、①制度としての父権秩序の破壊、②日本の伝統文化の否定、③厭戦思想の普及、④東京裁判による日本歴史の断罪、⑤子どもの自主性尊重、⑥教育勅語の否定を『教育荒廃の原因』にあげたのだった」(p.61)…。「日本を守る国民会議の高校教科書『新編日本史』について」「『東京裁判史観』にもとづく検定を批判し」「『復古調』と報道したマスコミを『偏向』といい、韓国や中国からの批判を『外圧』という」…「生長の家を母胎として生まれた日本教育研究所のリーダー、高橋史朗は、したり顔で臨教審において教育基本法改悪のメスをふるっている」(同上)…。
 水に「高橋史朗」という言葉をかけると水素水に(ry

 

引用文献
林雅行(1987)『天皇を愛する子どもたち 日の丸教育の現場で』青木書店

【トンデモ】保守しぐさ

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 中川八洋氏は「保守と保守主義は違うのです。保守主義イデオロギーですから、王制を守るとか、『人権』を排撃するとか、激越に闘争します。戦うのです。しかし日本のいわゆる『保守』は、単に『非左翼』であって、この戦う姿勢が全く欠如しています」(谷沢・中川 p.256)と述べ「現在の日本の社会を最も溶解せしめている、解体せしめている元凶の一つは『人権』」(同上 p.258)であるという。また、「1960年代からの『公民権』運動や70年代の『ウーマン・リブ』運動や『アファーマティブ・アクション(優遇措置)』などによって、公正を無視した『平等』化が米国社会の退廃の主たる原因となっており、懸念されざるをえない」「90年代にはこれに『PC(Politically Correct)』運動が加わりその狂信的な“言葉狩り”も、米国社会を腐蝕している」(中川 1996 p.172)らしい。「『ポスト冷戦』の日本では」「夫婦別姓や『子供の権利』など、家族の消滅運動という、実体的としては暴力革命に相当する伝統破壊つまり秩序破壊が国民に感知されない形で静かにかつ着実に進捗している」…「『政治改革』という四文字に思考停止して未曾有の政治的革新を左翼マスコミ煽動のままに無意識に進める日本という国家は、いずれその政治的機能が内部から自壊的に麻痺して半身不随になる日は遠くないと断言しておいてよいだろう」(同上 p.330)…。「人間は(小)ロボットではないし」「TVのアニメでしかありえないこのような妄想において観想されたのがホッブズの『主権』論である。TVアニメの主題歌を集めたようなもの、それが『レヴァイアサン』である。そんなものが正常な政治哲学の一つであるとすれば狂気であろう」(同上 p.246)…。これはむせる。
 「保守主義とはバークの哲学のことだといってもよい。そして、バーク保守主義という深遠な叡智を指針にせずしていかなる文明国家も未来へと悠久に永続する生命の泉を涸らさないでいることはできない。この故に、バーク哲学こそ日本国の必携である」(中川 2004 p.123)…「日本は、国をあげて、バーク哲学を拳拳服膺すべく、『バーク・ルネサンス』を断行しなければならない。それのみが日本に残された日本の悠久なる永続のための“最後の選択肢”だからである」(同上 p.124)…。バーク(エドシグサ・バーカ)は「『偏見の哲学』を展開し」(同上 p.129)、「偏見」とは「神への畏怖(宗教心)、王への畏敬、聖職者への崇敬、貴族に対する尊敬、判事たちへの服従……、というような『感情』のことを指している」(同上 p.130)。「僅かな智力しかない人間の理性は、『偏見』という服を何枚も着て初めて、漲るほどに豊かな智恵を得ることができる。自らの人格を高次の人間に向上させうる」(同上 p.131)。無知は力である(IGNORANCE IS STRENGTH)。
 「デカルト的合理主義の『設計(人間の知力)』による、非自然的で人工的な社会においては、人間の倫理・道徳は必ず死に絶える。伝統と慣習という、倫理・道徳が生命をうる土壌が破壊されてしまい、それが存在できなくなるからである」(同上 p.313)…。「ロックとは、社会をロボットや機械のようなものに人工的につくり直そうとしたホップス思想をたっぷりと吸いこんでいる思想家であった」(同上 p.320)…スーハースーハー!いい匂いだなぁ…くんくん、んはぁっ!「日本人は、社会のルールとしても個人の人格的自由の問題にとっても、慣習(conventions)である伝統的な道徳規範の墨守が大切であることを忘却した。いやそれ以上に、道徳について、それを積極的に破棄することをもって『自由』であると勘違いして今日に至っている」…「『美徳ある自由』のみが“真正の自由”である」(同上 p.324)。自由は隷従である(FREEDOM IS SLAVERY)。
 「女子中・高校生の売春(『援助交際』)が1990年代に入り猛威の伝染病となって日本中にあれほど広がったが、日本の大人たちはただうろたえるばかりで、なすすべもなくそれを放置した。理性主義のいかなる理論からも、倫理・道徳を擁護する知恵や知識は生まれてこない。つまり、理性主義に偏向した知見しか学校で与えられてこなかった日本人には、倫理・道徳を擁護する思考そのものがついに破壊されてしまったのである」(同上 p.325)…。「1980年代頃から始まった、家族をつくらない根無草的な『マージナル(余白的な)女性』の増大による出生率の低下が、日本の大借金の地獄の業火にさらなる油を注ぐから、日本の沈没は全世界の人々の好奇の注視と蔑みのなかでのたうちまわる『タイタニック号の悲劇』を再現するものになるだろう」(同上 p.337)…。「過去60年間、論壇・文壇で活躍する(した)日本の保守派知識人でバークを一冊でも読んだものは、八木秀次氏をはじめとする一部の例外を除き、驚くほど数が少ない」(同上 p.173)…。その八木秀次氏は「安倍首相はイデオロギーとしての保守主義を正確に理解している数少ない政治家の一人」(八木 p.31)だとしている。
 安倍晋三氏は、ディストピア小説『美しい国へ』の中で「『保守主義』、さらにいえば『開かれた保守主義』がわたしの立場である」(安倍 p.18)とする。「大学に入ってからも、革新=善玉、保守=悪玉という世の中の雰囲気は、それほど変わらなかった。あいかわらずマスコミも、学界も論壇も、進歩的文化人に占められていた」「ただこのころには、保守系の雑誌も出はじめ」(同上 p.24)ちゃったという。「かれらの主張には、当時のメインストリームだった考え方や歴史観とは別の見方が提示されていて、わたしには刺激的であり、新鮮だった。とりわけ現代史においてそれがいえた」(同上 p.25)…。「だからといってわたしは、ことさら大声で『保守主義』を叫ぶつもりはない。わたしには保守というのは、イデオロギーではなく、日本および日本人について考える姿勢のことだと思うからだ」(同上 p.26)…。姿勢=イデオロギー。そして、安倍晋三氏の中の人が高橋史朗氏と入れ替わり、「連合軍の最初の意図は、日本が二度と列強として台頭することのないよう、その手足を縛ることにあった」(同上 p.29)のであり「自主憲法の制定」を後回しにした「結果、弊害もあらわれることになった。損得が価値判断の重要な基準となり、損得を超える価値、たとえば家族の絆や、生まれ育った地域への愛着、国に対する想いが、軽視されるようになってしまったのである」(同上)などと言っちゃう。
 「90年代に入って、少子化は深刻な問題になったが、政府が『産めよ増やせよ』といったところで、子どもをつくるかどうかは、その人の自由」(同上 p.172)であるが「従来の少子化対策についての議論を見て感じることは、子どもを育てることの喜び、家族をもつことのすばらしさといった視点が抜け落ちていたのではないか、ということだ。わたしのなかでは、子どもを産み育てることの損得を超えた価値を忘れてはならないという意識がさらに強くなってきている」(同上 p.173)…。「子どもたちにしっかりした家族のモデルを示すのは、教育の使命ではないだろうか」…「家族がいて、子どもがいるというのは、損得勘定抜きでいいものだなあ、と思うことがよくある」…「子どもというのは、親の人生に圧倒的な充足感を与えるものだ」(同上 p.217)…。「戦後日本は、60年前の戦争の原因と敗戦の理由をひたすら国家主義に求めた。その結果、戦後の日本人の心性のどこかに、国家=悪という方程式がビルトインされてしまった」(同上 p.202)…。「問題はモラルの低下」、「気がかりなのは、若者たちが刹那的なこと」(同上 p.212)…「かつては家庭と地域社会が子どもたちのモラルを醸成する役割を果たしていた。人と人との助け合いをとおして、道徳を学び、健全な地域社会が構成されてきたのである」「そこで考えられるのは、若者たちがボランティアを通して、人と人とのつながりの大切さを学んでもらう方法だ」…「たとえば、大学入学の条件として、一定のボランティア活動を義務づける」(同上 p.213)…。
 中川八洋氏は「日本人の多くが、今や勤勉という徳性も棄てて、その日暮しに浮遊していないだろうか」「日本の迷走と衰落の原因の一つは、やはり日本国憲法にあるのは間違いない。日本国憲法は、緩やかな速度での社会主義革命を指向するもので、この憲法のある限り、日本は自己腐敗的、自己破壊的な過程から、精神の正気も、真理も善も美も、取り戻すことはできない。それに加え、高雅な倫理を否定する第9条がある限り、日本人の精神的堕落は永遠につづくだろう。倫理道徳とは、自己の生命より高い価値に自己犠牲の義務を課すことである」(中川 2002 p.4)と述べている。過労死は美徳である。アヒャヒャヒャヒャ ヘ(゚∀゚ヘ)(ノ゚∀゚)ノ ヒャヒャヒャヒャ

 

引用文献
谷沢永一中川八洋(1998)『「名著」の解読学 興国の書・亡国の書』徳間書店
中川八洋(1996)『正統の哲学 異端の思想 「人権」「平等」「民主」の禍毒』徳間書店
中川八洋(2004)『保守主義の哲学 知の巨星たちは何を語ったか』PHP研究所
八木秀次(2006)『公教育再生 「正常化」のために国民が知っておくべきこと』PHP研究所
安倍晋三(2006)『美しい国へ』文藝春秋
中川八洋(2002)『正統の憲法 バークの哲学』中央公論新社

【トンデモ】八木秀次「保守とは何か」(『正論』2017年3月号)

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 産経新聞(世界日報のようなもの)のオカルト雑誌『正論』2017年3月号は「特集 シン・保守のHOPEたち 誰がポスト安倍・論壇を担うのか」…。保守しぐさ。未来人ジョン・タイター八木秀次氏は「かつて『保守』を名乗ることにはリスクをともなった。『保守』とは『保守反動』であり、右翼や民族派と同一視された。しかし、最近は誰もが自分を『保守』と言いたい気分に駆られているようだ」(八木 p.55)とか言っちゃう。現在では「『保守』は頭の悪い危険思想の持主と思われ」(同上)ているが、八木秀次氏が住む未来のディストピアでは、そうではないらしい。「私自身は20数年前から自らを『保守主義者』と称してきた。そこにはリスクを伴ったが、私には『新しいカッコいい思想』という思いが強かった。『保守主義者』と称するようになったのは、西部邁氏の影響だった」…「社会科学の分野から理屈を与えてくれたのが西部氏だった」(同上 p.56)…。疑似社会科学しぐさ。「『保守主義』は庶民の生きて知った知恵を重視・尊重する思想である。一部のインテリによる上からの、世の中を設計し直すかのような急激な改革には違和感を持つ思想だ」(同上)…。神武天皇Y染色体理論を唱える一部のインテリ乙。
 鈴木邦男氏は『論座』2006年3月号で「本屋に出ている『諸君!』『正論』の方が右翼・民族派よりも過激」(鈴木 p.50)だとしていた。保守主義(カタツムリズム)は過激さを増してカルト化し、ポスト・オウムのへんないきものになっている。また、保阪正康氏は『論座』2006年5月号で「5、6年前からであろうか。奇妙な体験が重なるようになった。大学生相手の講演や市民を対象にした文化講座で昭和史を論じることがあるのだが、質問の折などに『先生の考えは、自虐史観ですね』と乱暴に決めつける者が出てきたのである」(保阪 p.41)と述べていた。うわぁ…。姜尚中氏は次のように指摘。「90年代以降から現在に至る、こうした論壇のキーワードは『反日』だ。およそこれまでの戦後論壇の歴史で、『反日』がキーワードになった時代はなかったはずだ。しかし、87年の赤報隊による朝日新聞阪神支局事件のころからとくに人口に膾炙するようになり、ここに来て『反日』を基軸に、明確な歴史修正主義が出てきた」(姜 p.65)、「今後、これらの雑誌はさらにデマゴギー的な性格を強めていくのではないか」(同上 p.68)、「『反日』をリトマス試験紙として、雑誌がラベリングのためのツールになり、『反日』だと烙印を押されてしまえば論争が成り立たなくなる。そして雑誌も、『反日』というモジュール(基準単位)を何度も組み替えているだけで、新規な論がほとんど見られず、タイトルだけを見ても、いつ出た論考か違いがわからない」(同上 p.69)…。同誌には西部邁氏と八木秀次氏の対談も載っちゃってる。八木秀次氏は「保守言論界が以前から主張していたものに、現実のほうが追いついてきたというだけのことです」(西部・八木 p.72)…。西部邁氏は「10年ぐらい前、八木君が保守言論界に登場したとき」「僕は大いに期待したんですよ。八木君は憲法学者でしょう」(同上 pp.74-75)…。えっ。憲法学者なのか…。八木秀次氏は「いま保守言論界の大勢を占めるのは社会科学系の論者です。そうした保守言論が左翼言論を粉砕しているところが確かにある」「最近、保守系が左派系の言論に理屈で負けたことはない」(同上 p.76)、「左翼が言い出した嘘やデタラメを一つひとつ、つぶしているのが保守論壇の仕事の一つ」(同上 p.79)…。Y染色体や親学は最強。
 高橋史朗氏(魔法少女)は『正論』2007年8月号で「『親学』は、毎日新聞が4月26日付紙面で『一部の保守系有識者が提唱している考え方』としているような代物などではない。複数の教育研究者が集まって蓄積を重ねた共同研究、実践の成果なのだ。私自身が個人的に書いたものでもなければ、個人で提唱しているものでは断じてない」(高橋 p.237)と述べていた。「毎日新聞は執拗に親学批判報道を繰り返すが、6月2日付紙面で親学の是非を調査した世論調査結果を明らかにし、『親学 賛成47%反対44%半ば』となったとしている。しかし、詳細にみると、20代の国民は68%が親学に賛成しているのだ」(同上 p.238)…。えっ。壇蜜氏によれば「若い人の方が『霊界』や『先祖の霊的な力』を信じる割合が増え」、「漫画やライトノベルの影響もあるんだと思います。そういう『霊界』『第三世界』とか、『死後』『黄泉の世界』とかに触れる漫画、アニメ、小説って今、多いですから」(壇蜜 p.19)とのこと。これが“脳内汚染”の実例です。
 親学は共同研究らしいけど、愛国アイドルももち(波平のようなもの)が「高橋史朗教授が中心になって『親学』というのを熱心にされています」(百地他 p.32)と述べているように中心は高橋史朗氏。朝日新聞(2016年6月17日)によると高橋史朗氏は「日本会議と親学をつなげるのは的外れ」とか言ってるけど、椛島有三氏(行き過ぎた個人主義クレーマー)は「『親学』は、男女共同参画に対する対案の意味を持つ」、「ジェンダーフリーに対する保守の側の回答」(椛島 p.25)と言っちゃってる。ちなみに第1次安倍内閣のとき「親学を提唱して家庭教育にまで政府が干渉するような態度を示した。これに対しては、『教育再生』支持に向いていた親たちからも批判が出、第一次安倍内閣失速の一因ともなった」(長山 p.229)という指摘もある。
 ついでに産経新聞の「自己責任」論を置いておこう。「WEBで発信している『MSN産経ニュース』で派遣村に関する意見募集をしたところ」「多くは『自己責任』を強調したもの」…「『自ら派遣の仕事を選んでおいて、大変になったら「助けてくれ」はおかしい』『貯金はしてなかったのか』『選ばなければ仕事はあるのだから、がむしゃらに働け』『40歳、50歳になって、資格なし、スキルなし、貯金なしとはどういうことか』」(赤堀 pp.256-257)。これが産経しぐさ。

 

引用文献
八木秀次(2017)「保守とは何か~イントロダクション」『正論』2017年3月号 産経新聞
鈴木邦男(2006)「愛国者はそんなに偉いのか 僕が本物の右翼から学んだこと」『論座』2006年3月号 朝日新聞社
保阪正康(2006)「あやうい保守言論の『内実』」『論座』2006年5月号 朝日新聞社
姜尚中(2006)「『反日』かどうかを尺度とする自家中毒 歴史認識をめぐって」『論座』 2006年5月 朝日新聞社
西部邁八木秀次(2006)「激論 異世代『保守』言論人 われわれの思想はどこへ?」『論座』2006年5月号 朝日新聞社
高橋史朗(2007)「間違いだらけの家族政策 なぜ『親学』は葬られたのか」『正論』2007年8月号 産経新聞
壇蜜(2016)「壇蜜の“あの世”問わず語り『死は怖くても、向こうの世界はハッピー!』」『霊性・霊界ガイド 物質世界の向こう側―あの世を感じて生きる 別冊正論28』産経新聞
百地章・石井昌浩・三好祐司 (2007)『いま、教育の大転換が始まる!新教育基本法と教育の再生』明成社
椛島有三(2007)「安倍政権の展望と課題 日本会議福岡総会における提言」『祖国と青年』 2007年7月号 日本協議会
長山靖生(2014)『「世代」の正体 なぜ日本人は世代論が好きなのか』河出書房新社
赤堀正卓(2009)「マスコミが黙殺した本当の『年越し派遣村』 派遣切り批判に名を借りた赤いイデオロギー」『正論』2009年4月号 産経新聞

【トンデモ】産経しぐさ

 世界日報…じゃない産経新聞のコラム産経抄(1982~1995年)のデムパを適当に引用しぐさ。

 

・1982年7月31日
 産経抄は「いまの日本人にはかつての『軍国主義を美化』したり『侵略政策を是認』したりする気なぞ全くない。アジア各国の人びとに味わわせた苦難と悲惨を心から反省し、二度とふたたび過去の過ちを繰り返さぬことを固く心に誓っている」と書いていた。一方、「しかしそのことと、自国の欠点ばかりをことさらに取り上げ、口をきわめて祖国の過去をののしることは全く別のことである」という。その後、1999年7月15日の産経抄では、江戸しぐさが登場。「いまこの時代に、道を行く人で傘をかしげるものは少ない」「日本人はいつからか礼節をどこかへ置き忘れてしまった」というが、江戸っ子大虐殺(自国の欠点)には触れないようにしている。

 

・1983年12月31日
 「『1984』の社会には『2足す2が4といえる自由』がなく、ビッグ・ブラザー(独裁者)の党権力によって『4ではなく5だ』といわされる」。「1984年まできょう一日、私たちが守るべきものははっきりしている」としていた産経は「5だ」と言い続けている。サムシング・グレートがあなたを見ている。

 

・1984年8月15日
 「子供たちの歴史教科書のほとんどは」「東京裁判史観から脱けられない人たちによって書かれている」…。東京裁判史観キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!

 

・1987年8月24日
 「過去の戦争における加害者として、日本と日本人が深く反省しなければならないことは多い。しかし真実は何か、まだ定かではないこともある」「いわゆる“南京大虐殺”と呼ばれる事件は、その一つではないか」などと言い出し、トンデモ本「阿羅健一氏の新書『聞き書/南京事件』」を紹介。阿羅しぐさ。

 

・1989年4月5日
 「日本がアジア近隣にかけた迷惑は大きく、反省すべきことは多い」「しかしあの戦争によって、アジア諸国の独立や民族の解放もすすんだもう一面の存在があるが、それを記述する教科書はほとんどない。それは戦争の不当な肯定や美化ではなく、歴史の皮肉と真実をバランスよく教えることのはず」などとし、教科書にデムパを載せようとする。“バランス”は高橋史朗氏がよく使う語である。

 

・1990年10月24日
 「第三次あるいは第四次宗教ブームといわれて久しいが、現代の若者たちは占いやおみくじを好み、お化けやオカルトを信じるものが多いそうだ」…。もちろん産経はオカルト。

 

・1991年11月27日
 「いい加減に自虐の“日本ダメ論”から抜ける時なのである」。「最も反日的なのが日本人自身」…。反日!出た!反日出た!得意技! 反日出た!反日!これ!反日出たよ~~!

 

・1991年12月12日
 「山本七平氏はベンダサンその人であったかどうか。恐らく同一人物だったはずだが、そんなことはどうでもいい」…。山本七平氏(トンデモ)自体がどうでもいい。

 

・1992年2月17日
 慰安婦問題は「臭いものだからフタをしたのは当然」で「日本だけがおぞましい恥部をひきずっていたと教えるのは歴史をゆがめている」らしい。これが産経しぐさ。

 

・1992年2月18日
 「戦争を賛美したり、日本軍の行為を是認したりするものでは断じてない。恥ずべく、おぞましかったのは何も日本だけなのではない」。産経しぐさ。

 

・1992年8月10日
 「“鎮魂の夏”にはアジアに与えた戦争の惨禍への反省が不可欠だが、それは東京裁判史観の足かせから自由なものでなくてはならない」…。これも産経しぐさ。

 

・1993年1月29日
 「宮沢りえちゃんは、宮沢りえさんに成長していた」。えっ。

 

・1993年7月3日
 教科書では「日本が犯した大陸への侵略やアジア近隣の人びとに与えた被害や罪禍は、あくまでも厳しく、きちんと教えなければならない」としつつも“バランス”が大事だとし、「あの戦争は、結果としてアジア」の「独立と解放をうながす一面を持った」ことも書くべきだという。バランスしぐさ。

 

・1993年8月12日
 「中国やアジアにはまぎれもない侵略を犯した」…「侵略が正当化されはしないが、“歴史の影”を見ないのはバランスを欠く」。「極東軍事裁判の戦争史観からぬけない限り“歴史の真実”は見えてこない」…。ここでもバランスしぐさ。

 

・1993年8月18日
 「追悼の辞」で「これでもか、これでもかと、自らみじめで暗黒な反日的状況に追いこむ」…。妄想乙。

 

・1994年10月25日
 「『戦後民主主義』を一言でいえば、自国の歴史を汚辱にまみれた過去とみるイデオロギーである。戦前戦中のことは何もかも日本だけが悪うございましたとする自虐の暗黒史観である」…。はぁ。

 

・1994年12月9日
 「戦後民主主義の破綻が表れた一例が」「『いじめ自殺事件』ではなかったか」…。えっ。

 

・1995年9月28日
 「沖縄でおきた米兵の少女暴行事件の波紋は、なお収まらない」…「ここぞとばかり反米感情をあおり立てるマスコミも出てきた。こうなると新たな、ゆゆしき事態を心配しないわけにはいかなくなる」。産経は「親米反日」であり、2001年の女性暴行事件では「被害者の側にも何か誤解されるようなことがなかったかどうか、今後の防犯のためにも検証したほうがいい」(2001年7月4日)などと書いてしまう。

 

おまけ:
 曽野綾子氏は『狸の幸福 夜明けの新聞の匂い』(1996年、新潮社)で「私たちは、『南京虐殺事件』に関する記述には誤りが多いとして全国の中学1年生とその親427人が、文部大臣を相手取り教科書是正を求めている訴訟があることなど、ほとんど知らされないのである」…「第1回口頭弁論が10月30日に行われたことを、朝日、毎日、読売、日経、東京の中央紙は全く報道しなかった。極く小さく触れたのは産経と世界日報だけである」(p.190)と書いている。あっ…(察し)。

【書評のようなもの】パオロ・マッツァリーノ『みんなの道徳解体新書』

 読売新聞(2007年3月5日)の記事で養老孟司氏は、日本人の「モラル低下の最大の要因は戦後、欧米流の個人主義がもてはやされ、『家』制度が崩壊したことにある」(p.150)などと高橋史朗氏のようなデムパを飛ばしていた。「統計調査などの根拠もなしに、個人主義だの家制度だのといったあいまいな理屈で説明したつもりになってしまうのは、非科学的な態度」(p.152)。「史料をもとに客観的に歴史をふりかえると、日本人のモラルや道徳がむかしに比べて低下したという証拠は見つかりません。むしろ向上したことを示す例ばかり」(p.153)。「戦前の日本人の公共道徳は」「ヒドかった」…「汽車の中の床にゴミ」…「バナナの皮なんかも床にポイ捨て」(p.156)。ポイ捨てしぐさ。「戦前の新聞にはたびたび、日本人の公共道徳心が低いことを批判する記事が登場します。養老さんは欧米の個人主義をモラル低下の原因と決めつけてますけど、戦前の新聞記事や社説の論調は真逆です。欧米人のマナーのよさを日本人は見習うべきだと主張していることが多い」(pp.156-157)…。「戦後日本人のモラルが低下したとする説は、なんの根拠もない俗説にすぎません。欧米流の個人主義も家制度の崩壊も、モラルの有無とはまったく関係ありません」(p.158)。高橋史朗氏、オワタ。

 

引用文献
パオロ・マッツァリーノ(2016)『みんなの道徳解体新書』筑摩書房

【トンデモ】八木秀次『公教育再生』(親学)

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 未来人ジョン・タイター八木秀次氏は、「現状は家庭教育の文化が継承されていない。そのため親が親たり得ていない。親たるべく『親学』の学習が必要である」(p.26)と高橋史朗氏のようなことを述べていた。そして「ゲームメーカーやアダルトサイト・出会い系サイトの運営会社、それに広告を出している会社は自らの姿を振り返って欲しい」…「俗悪番組を放送するテレビ局やその番組のスポンサーは企業の社会的責任を考えて欲しい」(p.27)という。また、「日本を美しくする会」(素手でトイレ掃除)がやっている「『トイレ掃除』を全国の学校に広げることも必要である」…「できれば、政府要職者が学校のトイレ掃除を実践するのが望ましい」(p.23)らしい…。「小学校の英語・コンピューターの時間は廃止し」(p.21)…とかは「IBM 5100」と関係がある(ない)。
 さらにカタツムリ・Y染色体八木秀次氏は次のように述べている。「安倍首相はイデオロギーとしての保守主義を正確に理解している数少ない政治家の一人」(p.31)…。「安倍氏の思想的同志とでも言ってよい山谷えり子」(p.32)…。安倍氏のような「ニートを増大させているのは、そのような子供を放置している親が増えていることが大きな原因」(p.143)…。その背景には「社会に貢献しようという価値観が欠落しているということがある」…「そのような意識を育ててきたのがこれまでの学校教育だったのだ。歴史教育はその傾向が顕著である。今の歴史教育は、とにかく日本が悪かったということしか教えない」(p.144)…。「子供たちに日本の素晴らしさを教えていないこと、このことが、社会にかかわろうとしない今の無気力な若者たちを生んでいる大きな原因」(p.146)…。「ニートやフリーターの大量出現というのは」「歴史教育の産物」(p.210)…。「日本の戦後教育、思想の結果生まれたニート」(p.155)。「ニートは、家にいるだけで何もしない」(p.152)、「生産性がなく、税金も年金も払わない」(p.149)、「現在は、新卒採用者の実に三割が一年以内、職業訓練の途中で会社を辞めてしまう」(p.151)…。「問題は、それを許容する世の中の風潮、とくに親がニートを容認している傾向にもある」(同上)…。
 日本教育再生機構(カタツムリ機関)のブログの記事(2006年10月11日)では「渡邉美樹ワタミ社長ら教育問題に見識のある方」(p.32)、「左翼的主張を繰り返してきた義家弘介」(pp.32-33)などと書かれていた…。「公教育再生」で「親学」史観を学び、愛国企業ワタミで働くぁwせdrftgyふじこlp。

 

引用文献
八木秀次(2006)『公教育再生 「正常化」のために国民が知っておくべきこと』PHP研究所

【トンデモ】高橋史朗「新しい日本人が出現したと思いました」

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 Mr.都市伝説・高橋史朗氏は、とある怪しいシンポジウムで次のようなデムパを飛ばしていた。「東京生まれ東京育ちの小学生に星空を見せていたら、『空にじんましんができたみたいで、気持ちが悪い』と言いました。新しい日本人が出現したと思いました」(p.23)…。「江戸には江戸しぐさというものがありました。例えば『傘かしげ』『腰浮かせ』です」…「そういうことを、地域の大人や親が率先して実践していたのです。これが世界一日本の子どもが礼儀正しかった理由です」(p.28)…。「『家庭教育の愛着の欠落』」「をよく表しているのは『かまっておんど』です」「『ひらけ ポンキッキ』という番組で流しています」(p.34)…。「秋葉原で無差別殺傷事件を起こした青年は25歳でしたが、『誰でもいいからかまってほしかった』と供述しました。彼は神戸の連続児童殺傷事件を起こした酒鬼薔薇聖斗と同い年です。彼らが幼稚園時代に流行っていた歌がこの『かまっておんど』です。つまり愛着の欠落が事件の背景の一つにあるのではないかと思われます」(p.35)…。「私は今、『親学』という親を支援する活動を全国で展開しています」(p.36)…。「『二分の一成人式』というものをやるところもあります。これは向山洋一さんという人が昔からやっている『10歳おめでとう』の式典で」「親子の絆を確認する場です。それを母とパパにかけて8月8日に全国的に開催し」「親子の絆を確認する日にしようではないかと話し合っているところです」(p.38)…。
 新しい日本人(高橋史朗氏)が出現したと思いました。

 

引用文献
高橋史朗(2012)「大人が変われば子どもは変わる 子どもとの心のキャッチボール」全国少年警察ボランティア協会編『子どもの立ち直り支援に求められるもの 次代を担う少年の育成のために』全国少年警察ボランティア協会